概要と沿革

新横浜駅

スタートは昭和35年

一般社団法人横浜北工業会は、昭和35年7月、当時の港北区内の製造業者47社が参加して、会員相互の親睦と工場環境の整備などについて協力していくことを目的に「港北工業クラブ」としてスタートしました。
 
横浜北工業会の誕生

昭和44年に港北区の分区によって緑区が誕生したのを契機に「横浜北工業会」と改称して会員交流や生産環境整備事業、地域諸施策支援事業等を活発に行ってきた結果、昭和59年には製造業を中心に大企業・中小企業合わせて400社を超える会員を擁し、横浜経済の担い手として大きな役割を果たすまでに発展してきました。

平成初期

更に、平成元年には社団法人の設立許可を得て活動基盤をより強固なものとしましたが、その直後に発生した我が国経済のバブル崩壊に伴う様々な影響から会員数も徐々に減少し始めることとなりました。

一般社団法人として

平成6年には港北区・緑区の分区により新たに青葉・都筑の2区が誕生しましたが、その後も4区全域をエリアとして活動し、平成24年4月1日からは、公益法人制度改革に伴う「一般社団法人横浜北工業会」として、約230社の会員がそれぞれの地域との係わりをもちながら様々な活動を展開するとともに、工業会としての新たな魅力づくりに積極的に取り組んでいます。